共著者レビューが終わりボスがゴーサインを出してくれた論文を、さぁサブミットしようと意気込んだのも束の間
投稿サイトにファイルを上げる途中でカバーレターを書き忘れていたことに気付いて、意気消沈してしまったことってないだろうか。
レターを書くこと自体はそこまで大変ではないと思うのだが、エディターに向けて書くものだとやはり緊張するし、
デスクリジェクトのあるジャーナルではもしかしたら文字数あたりの地価は実はアブストラクトより高いケースもあるのではないだろうか。
なので結構一大事。
ただ僕の中で未解決なのが
カバーレターって書かなければダメ?という問題で
まず大前提にあるのは、丁寧で質の高いレターが常に書けるならもちろん書くに越したことはないのだが、
カバーレターをサブミットの条件としないジャーナルが臨床系では特に増えていると思うので、このステップは省いても良い場合があるのでは、と考える。
エディターや査読者に対する礼儀、という考え方もあるのでそれは素晴らしいことだと思うし尊重したい。
だだ国際的な著者グループにこの価値観が求められているとは考えにくい…?
そして時間も労力もかかるし、誰も読んですらいないケースがあると思うので書いてもdecisionに影響のない場合があるなら書かなくてよいのでは、という立場から議論を進める。
僕の実験と上の人からのアドバイスを組み合わせると、IFに関しては心臓外科ジャーナルに限る全く個人的な感覚だが
- IF4以上のところに結構な確率で通りそうな論文には書く
- 質の低い・長すぎレターはどこに出す場合でも書かない方がマシ
というのが暫定的な結論。
書かなくても良いケースがあると僕が思うのは、カバーレター無しでも普通の査読コメントを経て通った論文が結構あるから。これはただ単なる僕の怠慢で、
あ、カバーレター無しでもサブミットできちゃった、うふふ
という発見から始まって徐々に冒険していった結果、
無しでも普通にイケるな、という結論に至ったというもの。
査読に来る論文にもカバーレターが無いものが結構あるし、それでも内容の良いものは普通に通っている印象。肌感覚で、IF3〜4以下のジャーナルにはカバーレターを全く考慮してないものが結構あるのではと思う。
逆に3ページとかに渡っているアブストを完コピしたようなヤバいカバーレターは目に入った瞬間に判定ボタンをポチッとしてしまいそうになる、と知人が言っていた。
カバーレターっていわば小手先のファクターで、どのレベルのジャーナルでも通るべくして通っているような論文にはあってもなくても最終的なdecisionには実質影響ないと思う。
同様に、99%通らないであろう圏外ジャーナルに送る場合も、カバーレター以前の問題なので関係ないと思う。
その間にある、reject/revisionもしくは査読に送るかデスクリジェクトかという判定が僅差になる可能性のある際どいところにいる場合はカバーレターのような調整できる外的ファクターは全て整えて臨むべきで、
ある程度のレベル以上でその近辺にいる場合はカバーレターがdecisionに多少なり影響する可能性を考慮して、書くことに価値があると思う。
まとめ
曖昧になってしまったが、僕は「某ジャーナル以上」のジャーナルに送りたいと思う論文にはカバーレターを書く、というルールでやっている。
次回はカバーレターの書き方。
One thought on “論文カバーレターは必要か”