僕のこだわり論文 Episode 1

先日の講演の事後コメントで 「もっと実例があれば良かった」や「自分の論文を使ったケーススタディーがあればよかった」等のご指摘をいただいたので僕のこだわり論文を裏話を交えて書くシリーズをやってみようと思う。

一応ググって翻訳しているが日本語の専門用語が間違っているところはご指摘いただけたらありがたい。

第一弾はストーリーを書きやすそうだったこちらの論文

個人的にはトップ5入りするくらいは好き。

メタデータ

  • ジャーナル: J Thorac Cardiovasc Surg (IF 4.4)
  • 記事タイプ: Expert Opinion (1,500 words)
  • 事前リジェクト:1誌 (Ann Surg)
  • 本誌リバイス:1回
  • 所要時間:〜40時間
  • 備考:エディトリアルが4本ついた。

概要

現行の多用されている手術リスクモデルには単一の手術タイプ (i.e. 虫垂切除)ではなくて複数の手術タイプが混ざったデータ(I.e. 虫垂切除 + 食道切除 + 頸動脈内膜剥離)にフィットさせたものがあるが、

100歩譲って手術タイプをrandom effect 等で考慮してフィット自体はリーズナブルになった場合でもそんなごちゃ混ぜモデル(universal risk model)の性能って数字出されても解釈の仕様がなくない?という問題提議をした論文。

シナリオとしては消化器外科医が自分の患者の食道切除のリスクを知りたい時に、そのリスクモデルが心臓血管外科系の手術や整形外科の手術を含むデータにフィットされている場合、そのモデルが食道切除のアウトカムの予測をどれほどの精度で行えるのかは総合モデルの性能評価からはわからない、というもの。

そのごちゃ混ぜモデル全体のAUROCが0.9でも食道切除のケースに限っては0.6ということがあり得るのに総合モデルの性能しか報告されていないのはユースケースが考慮されておらずマズい。

そのせいで弱小モデルがイケてる風に上塗りされて世に出されているのではないか、という議論。

実例としては心臓外科系のEuroSCORE II や外科全般のNSQIP risk model などがこのuniversal risk model にあたり、臨床ではそこそこ、研究では頻用されているリスクスコアを算出するためのモデル。

NSQIPはAmerican College of Surgeons という大御所学会が擁護・スポンサーしているモデル。EuroSCORE IIもヨーロッパの偉い心臓外科医がたくさん関わっているのでこれを名指しで批判するのは躊躇ったがまぁ我々米国だし共著者エライしいいか、となった。

対して米国発のSociety of Thoracic Surgeons (STS) のモデルはisolated CABG用, isolated AVR用, CABG+AVR用といった具合にかなり手術タイプごとに絞られているので、モデルのパフォーマンス評価の数値が解釈し易いからそっちの方がいいよね、という話。

過程

まだ世に出ていないが、冠動脈バイパス手術のリスクモデルを現行のロジスティック回帰ベースのものとXGBoost やらrandom forest やらのツリーベースの計算機を使ったモデルで性能がどう変わるかというプロジェクトに浸かっていた時にモデルの性能評価を勉強して浮かんできた疑問。

最初はなんとな〜くNSQIPのモデルって気持ち悪いな、というところから始まって何故気持ち悪い感じがするのかを突き詰めるのに紆余曲折するうちに論文になったという感じ。元々、研究では使われるが臨床では肌感覚のパフォーマンスがイマイチなので現場では使われていない印象、という土壌はあった。

共著者のDave Shahian がSTSモデルの父的な存在で前からこういった論文は書きたかった様なのでかなり積極的に参加してくれた。

最初はロジックだけで議論を進めていたが実例データがあった方が遥かに分かり易いということになって手元にあったNational Inpatient Sample という全国入院データを使って色んな手術タイプごちゃ混ぜモデルを作って手術毎のパフォーマンスがどれほどズレるかを比較した。

一番苦労したのはビッグネームが関わりすぎてその人達のコメントが食い違った場合に取捨選択し熟考しましたがここはこういう形で、という返事をいい感じにまとめるのに時間がかかりすぎたところ。

ただ、やはり突っ込んでくるところが練られまくっているのでコメント毎に文献を読み込んで的を得た返事ができる様にと努める過程はすごくよかったと思う。変なコメントだな?と僕が思った場合は大抵僕の理解が浅すぎたケースで、勉強したらコメントが理解できた、ということが結構あった。

振り返って

内容はかなり好きだしこれは胸を張って意味のある論文だったと言える。書くプロセスもとても勉強になった。

ただ、こういったOpinion/Viewpoint/Perspective系の論文はガチガチに理論武装しなければいけない(?)と思うので一文一文練るのが大変で恐らく100回くらいは読み直したと思う。

そしてAnn Surg が最初のターゲットで論文のレベルとしてはかなりリーズナブルだと思っていたが、親元である米国外科学会のリスクモデルをこき下ろしている論文でもあったのでデスクリジェクトをくらった。また、National Inpatient Sample のデータを使って色々やり始めた時点で原著論文に変更しても良かったかもしれない。

Commentary を小一時間で書いてみた

上の人にきた査読を手伝って、その論文がアクセプトになったので付随する commentary/editorialを書けという依頼が来たので僕が書くことになった。

丁度短めなので前回の Letter to the editor の様な感じで実況しながら書いてみた。

今回は1時間超えてしまったのだが、あまり目新しいことは無かった気がする。

前回の勝手に書いたレターとの違いは、コメンタリーなので一応著者やエディターへの配慮みたいなものが若干難しかったと思う。

イントロ以外は1.2倍速。

Write drunk, edit sober” の精神に則っている。

よろしければどうぞ。

インパクトファクターは正義か

2019年のインパクトファクター (IF) が公表された。

前年と比べてIFが伸びたジャーナルはSNSなどで大々的に公表してエディターや査読者を称賛するのに対して、下がった場合は誰も気づかないことを願って息を潜めている感じがおもしろい。

良くも悪くも字面になりやすいし、取り合えずこの数字を言えばそのジャーナルに掲載する難しさやインパクトの様なものが伝わる。

ほとんどマウントを取るために存在する指標と言っても過言ではない。

これが僕の結論なのだが、これだけでは味気ないのでもう少し広げると、

一般的に言われる「インパクトファクター」はWeb of Science Group が発表するJournal Citation Report 内に載っている

The Clarivate Analytics Impact Factor のことで、計算方法は

https://mjl.clarivate.com/journal-profile

過去2年間に掲載された論文が1年間で稼いだ被引用数➗掲載された論文数 なので要はそのジャーナルの論文がどれだけ引用されたか。

そして分母の’citable items’ が何を意味するかも重要で、Clarivate によると

Citable items include articles and reviews. Document types that aren’t typically cited, e.g. letters or editorial materials, are not included in the Impact Factor denominator. 

となっている。

なのでCommentary や editorial がカウントされないところを突けばハックできるポテンシャルがかなりある。

実際これを逆手にとった某胸部心臓外科ジャーナルが全ての原著論文に必ずEditorial を1本ないし複数つけて全てに原著論文を引用させる、という荒技を取り入れて前年のIFが不自然な感じに伸びた。

僕の書いた原著ですらないExpert Opinionというカテゴリーの論文にもなぜかeditorialが4本ついて、editorial同士が各々まばらな解釈をして言いたい事を言いまくった挙句、元の議論を無駄に複雑にされて残念だった。

今年のIFは落ちて元の感じに戻ったのだが、何が ‘citable item’としてカウントされていたかを見てみると結構な数のeditorialが紛れ込んでいた

Editorial自体には引用がつかないので、厳密な因果関係やClarivate側の対処なのかはわからないが、成敗されていた印象。

上記では失敗した感じだがジャーナル側がスマートに頑張ればある程度はハック可能な指数なのだと思う。オープンアクセスやSNSプッシュ然り。

また、ガイドラインを出すと引用が爆伸びするらしいのだが某JACCエディターは他の某循環器系ジャーナルがガイドライン出しすぎ、という批判をしていた。

なのでガイドラインが出せない、もしくは出しにくい専門誌には逆風なのかもしれない。

また全国規模の良質データベースを専門誌の母体となる学会が管理している場合、そのデータベースを独占することで他では書けないペーパーを自身の専門誌に注入しまくり引用を稼ぐという方法もあると思う。というかある。

心臓外科でコンプラ的に必需の術後生存率を予測するリスクモデルもこのデータベースをもとにしたもので、

アップデートされる度に某専門誌にモデルの詳細が載るのでもはやIFの半分くらいこのモデルの論文頼みなのではないかという勢いで引用されている。

なので「様々なハックが可能なIF」は正義かという議論に戻ると、

載るジャーナルではなくて論文そのものの真価が大事、というマシュマロ論でまとめるのもアリなのだが、

本当の価値は時間が経たないとはっきりしない事が多いしIFがインパクトと読者を呼ぶというサイクルもあると思うので必要悪だと考える。

アカデミアが競争的である限り何かしらの指数は必要なのかと。

ただ小数第三位まで気にする様な数字ではないと思う。

また、異分野間ではIFの分布スケールが違うので専門分野の中では一番インパクトのあるジャーナルでも競技人口が少ないためにIFだけで見ると控えめな印象になる、ということもザラにあると思う。

臨床系は総生産数が多いので、無数の低IFジャーナルに支えられる高IFジャーナルが伸びやすく、他の技術系や基礎系と比べると実際の質よりもIFが高めにつきやすい様な気がする。

結局のところあまりこだわり過ぎないのが良いのだろうか。

専門分野内では「このジャーナルに載ればそれなりの質」という認識は割と共有されていると思うので、エディター陣が入れ替わったりジャーナルの指針が大きく変わる事を除けばIFの浮き沈み自体にそれほどの意味はないのかもしれない。

とはいえ毎年の移り変わりは楽しいし自分の論文が掲載されたジャーナルが伸びていると嬉しいので、それを楽しむ程度に留めておくのが僕の中での理想的なIFとの付き合い方だと思う。

Letter to the Editor を小一時間で書いてみた

ゲーム実況という、ゲームをやりながら自分で実況して配信するという企画(?)があるが、それを論文でできないかと思い丁度 Letter to the Editor を書けという指令が上からきたので執筆の終始を動画にしてみた。

数年後には何億円市場のeスポーツに化けるかもしれないので、論文実況と名付けたい。

この試みや録画、動画編集、YouTube等全て初めてだったのでなかなか残念なタッチに仕上がっているが、ご了承いただきたい。

1倍で流すと倦怠感がハンパなかったので右下画面に出る数値の倍速で流している。

タイムラインは:

  • イントロ (0:00-0:56)
  • セットアップ・元ネタ論文説明 (0:57-2:32)
  • カバーページ・フォーマット (2:33-4:40)
  • ストップウォッチつけ忘れに気づく(4:21)
  • 本文執筆(4:41-42:35)
  • 抱っこ紐の子供目覚めて泣く(38:42)
  • 編集・音読 (42:36-46:11)

論文リソース・小技集

Twitterに上げた論文リソースの紹介をまとめたページです。ネタが上がれば随時アップデートします。

目次

  • 関連論文を一本釣り (Connected Papers)
  • 図から数値を抽出 (WebPlotDigitizer)
  • 投稿前の図のDPIを一瞬で統一 (Convert Town)
  • いい感じの配色選び (ColorBrewer)
  • Cover letter サンプル
  • データベース定義書
  • 撤回論文のデータベース (Retraction database)

関連論文を一本釣: Connected Papers

2020年6月にリリースされた無料の神サイト。論文を入れると内容の類似度や引用でつながっている論文のネットワークを可視化してくれる。新しく学ぶ分野の重要論文をピックアップしたり論文のトピックに沿った関連論文を見つけるのにかなり有用だと思う。

connectedpapers.com

図から数値を抽出: WebPlotDigitizer

投稿前の図のDPIを一瞬で統一: Convert Town

下記ツイートに全てが記載されている。超便利。

https://convert.town/image-dpi

いい感じの配色選び: ColorBrewer

カバーレターのサンプル

カバーレターの書き方の記事はこちら

査読レスポンスレターの小技

査読レスポンスレターを読みやすくする色分けと枠使い。ワードの外枠設定で1クリックで段落全てを囲える。出典:嫁

データベースの変数の定義書

データベースを作る場合や変数を足す場合、定義の記録は手間がかかっても超重要!下記はサンプル。

Retraction database

撤回された論文のデータベース。ジャーナルや著者などのメタデータはもちろん撤回理由なども書かれている様。今のところ、暇つぶし以外の用途は今ひとつ不明。

http://retractiondatabase.org/RetractionSearch.aspx

自己肯定の論文

先日米国の日本人の先生方と「論文について語りあう」という楽しすぎる趣旨のZoom飲みに参加させていただいた。

とても楽しかったし色々な発見があったのだが、自分にとって論文とは?というお題が出て、その場では全然考えがまとまらなかったのだがその後考えてみたことを書きたい。

参加されていた先生が仰っていた、キャリアの段階や目的によって変わってくる、という点にすごく共感した。

本数が必要なフェースもあれば、数はいらないけどデカいのが書きたい、という時やこの手術のテクニックで売っていきたいから書く、ということもあるのではないだろうか。

僕自身にとっては、論文は目的を達成するためのツールであるが目的そのものではない、ということはフェーズを通して一貫している気がする。

もちろん研究のプロセスが楽しいからとかトピックが好きだから、というのは常に根底にあるのだが、論文を使って何をしたいかは変わり続けている。

大学にいたときは医学部に入るのに有利だろうから、という様な動機で書いていたし医学生のときは推薦状をもらうためやらマッチングのためだと思って書いていた気がする。

レジデンシーに入ってから論文を書いたのは自己肯定のためだったように思う。

この話を書くのは恐る恐るなのだが、

僕が2015年に胸部心臓外科プログラムにマッチした施設は、大学や医学部全体では有名だが心臓外科は下火で、もちろん見方にもよるのだろうが他に臨床・研究ともにもっと勢いのあった他施設に行きたかった僕にとってはかなり悔しい結果となった。

当時は臨床研究もそれほど活発ではなく、学会発表もあまり無いしアカデミックな士気の様なものはレジデント含めてプログラム全体では決して高く無かったと思う。

外から見た専門分野内でのその施設の評価は、論文や学会発表でのプレゼンスやプレイヤーのアカデミックな認知度によるところが大きいと思っていたので、そこを上げることができれば「あそこ凄いじゃん」となってプログラムが盛り上がりそれが「結局ここで良かった」という自己肯定に繋がるのではないか、というおこがましいことを画策していた。

しかしどうすれば良い研究ができるかいまいちわからずに細々とレビュー論文などを書きながらしばらくモヤモヤしていたのだが、

2017年に今の最強カリスマ心臓外科チーフが就任し、結構な改革を行い臨床も研究もガラッと雰囲気が変わり、一応臨床研究チームのようなものも立ち上がった。

そこで研究に本腰を入れる様になったしその辺りから臨床研究に対する考えやスキルやらが加速したような気がする。

しかし研究チームを立ち上げた頃は全く上手くいかず、論文はなかなか通らないし学会に送った5本の抄録が全部リジェクト、ということもあった。何を思ったかチーフが100万円くらいで心臓外科手術の全米データを買っても良いと言ってくれて、それを使って書いた抄録が通ったのだがオーラルではなくてポスターで、

他施設が何本もオーラルで発表しまくっていたその学会中、チーフと二人でフロリダのホテルのプールサイドでダラダラとカクテルを飲みながら、大金をかけた割には成果が出なかったことを急に不甲斐なく感じ「やっぱり勝ちは遠いですねー」というようなこと口走ってしまったこともあった。

不思議なものでその後少ししてから徐々に点が線で繋がっていくようなフェーズに入り成果が出始めて、

今年の胸部心臓外科学会では一つの学会では通ったオーラル2本の内1本は大学生が筆頭で書いた抄録だったのでかなり嬉しかったし、もう一つの以前5本全てリジェクトだった学会ではオーラルが3本通り(バーチャル移行で結局1本だけのプレゼンになってしまったが)、伸びている感じはする。

論文も一定のペースで出るようになり当初の目的であった、他施設のアテンディングやレジデントから認知される、という点も手応えを感じる機会が徐々に増えてきている気がする。

また、面接や実習にくる外の医学生が「論文読みました」とか「ここに来てあの論文でやっていたような研究したいです」とか言ってくれるのはお世辞でもすごく嬉しい。

今のボスの元で研究できるのもチーフのおかげなので感謝しかないし、回り回って論文を通して、胸を張れる程の成果はまだないが今いるところの居心地はよくなりつつある気がする。

まとめ

ただの身の上話になってしまったが、臨床アカデミアの土俵の上では論文が通貨であり正義のような気がするので、論文を書くことで実現できることがまぁまぁあるのではないだろうか。

そしてマッチングの日に励ましていただいた先生方と5年越しに飲み会で論文についてお話しすることができたのは感慨深かった。

論文を通してコミュニティーを形成する

このご時世でそうないと思っていたのだが、ソロオーサー原著論文が最近JAMA Internal Medicine に掲載された。

凄いと思うのだが、一人で原著論文を書くことほど寂しいことってそうないのではないかと思ってしまう。

自分一人でアクセプトまでの全方面をカバーするのはキツいだろうし、何より共著者と様々な視点からの意見を交わしながら論文を磨き上げていく楽しみに欠ける。

ソロ論文はもの凄い功績だと思うし外野が云々言うことでは無いのだが「論文を通してコミュニティーを作る」ということを再考する機会となったので書こうと思う。

共著者を巻き込む

ボスの受け売りが多い気がするが、

今のチーム2のボスと働く様になってから割とすぐ言われたことは

「論文は自分のコミュニティーを広げるための道具でもある」

ということで、意図が汲み切れていないかも知れないが、

共著者として仲良くなりたい人を巻き込むことでネットワークを形成する切り口にする

という様なもの。

僕が言うとあざとい感じだが、

基盤となっているのはその人たちのインプットをもらって論文を良いものにするという意図で、

その副産物としてコラボを通してその後の研究につながる人間関係ができるなり、就職口であったり、メンターの様な相談役になってもらったりと言う様々な機会になりうるという様な考えだと思う。

遠くの他施設の全く接点のない人でも、何か一緒に仕事をする口実ができれば自然とコミュニケーションが増えて実際に会うことはなくとも名前は認識される様になるし、連絡を通して関係が出来上がったりする。

今くる査読依頼やタスクフォースへの招待の様なものの多くは共著した方々を介していると思う。

また「あのペーパー手伝ってもらった者です」等と言って学会などアポが取りやすいところで会って貰えたりもするのは素敵。

昨年のある学会ではISCHEMIAというスタディーをプレナリーで発表をした循環器の先生と、論文執筆以外では全く面識が無かったのだが、ISCHEMIA発表直前に15分程時間を作ってもらえた。

そして上手く論文が通った場合はその達成感をシェアできるわけで、これはより多くの共著者と「一緒に頑張った」みたいな意識があるものの方が感慨深くて楽しい気がする。

ただ最初のコラボの依頼のためのコンタクトはボスのネットワークを介しているのでそれ頼みなところもあるが、専門分野の世界は結構狭いと思うので何人か知り合いを介せばほとんどの人間にたどり着くことが可能なのではないだろうか。

僕は口数が少くテンション低めでアメリカで人と仲良くなる入り口を見つけるのには苦労するので、論文は自施設内でも関係を作るための切り口になる最強のツールだと思っている。

あまり臨床では絡まないアテンディングとも一緒に書いた論文がアイスブレーカーの様な役割を果たし、いつの間にか仲良くなっていたりする。

そして原点に帰って1番の利点は、自分の持っていない技術や知識をその道の専門家と共著することで補えることで、

案外、本当にそのテクニックを欲していて自分でもかなり頑張ったけど原著で自分で責任が持てるレベルの理解ではない、と言うことを伝えれたらチーム内で誰も面識のないエキスパートからでも結構Yesと言って貰えたりする。

まとめ

論文は最強のアイスブレーカーで、共著者を巻き込んで楽しく書くのは一つの醍醐味だと思う。

希少種・出木杉くんPIのハートをガッチリ掴んで離さないコミュニケーション術

今回はいまいち生態が知られていない希少種PIとの働き方のようなお話。

Twitterで頂いたご連絡からアイデアを得ました。

僕の場合はこうしています、という程度のもの。

ジャイアンPIをしばらく凌ぐとたまに出会える可能性のある出木杉くんPI。周りの学生やレジデントから人気で一緒に働きたいけど中々入り口が見つからない、というような人の設定。

なので千載一遇のチャンスを活かして仕事出来ますアピールでハートをガッチリ掴みたい。

だが研究に関するコミュニケーション作法のようなものって意外とブラックボックスで、何が一般的でどのようなアプローチで仕事を進めてどの段階でプレゼンをすればいいかが分からずに心配になることってないだろうか。

これは偏見かも知れないが、臨床に引っ張られてコミュニケーション不足気味の臨床医PIと働く時に多いシチュエーションのような気がする。

多分一般論として言えることは、PIの好みやスタイルは千差万別なのでそれを出来るだけ早く読み取って順応することがキーではないだろうか。

なのでPIの好みのようなものをあらかじめ本人や周りの人に聞いておくのは悪くないと思う。自分に合わせようとしてくれている、という意図が伝わるだけで好印象だと思うし、逆に遅い段階だと聞くに聞けない雰囲気になってしまうかも知れない。

  • ミーティングはどのくらいの頻度が良いか(週1、結果が上がり次第、etc)
  • 未完成のものを方向性の確認のためにシェアしても良いか
  • 解析のディテールはどの辺まで知りたいか

など。まぁザックリでも感じがつかめればプラスだと思う。

そしてハイパーなグループになると新メンバーのオリエンやその読み合いのステップを省略するためのルールブックのようなマニュアルが存在する。

これは効率的で素晴らしいと思うし、外部から見てそのグループに合うかどうかの初期評価をするのにも有用な気がする。

うちの学生やレジデントが参加しているグループ1でも取り入れたいと思っているのだがいまだに流動的なところが多いのでマニュアル化できるのはまだまだ先の話。

2割の時間で8割の結果をまず報告

これは20:80 ルール的な考えで、おそらく8割の仕事をするのにかかる時間は全体の2割程度で、残りの2割を詰めるのに8割の時間がかかる、というようなもの。

ターンオーバーの速度を上げる目的で8割に到達した時点で一度PIに投げてみる、という方法を僕はよくとる。

そこで方向が全く違っていた場合はロスが少ないし、その結果を送る時点で、完成からは程遠いレベルだが方向性だけチェックしてほしい、というようなことを明記していれば嫌な顔をされることはないのではないかと思う。

簡単な例では図の配色やフォーマットを整えるのには時間を費やさずにとりあえずザックリのイメージが伝わる物を手早く見せて内容に関する意見をもらう、というようなもの。

ここで自分の認識でも未完成品、ということをハッキリさせておくのは重要で、これが抜けていると「こんなテキトーな物を送ってきよって」というお叱りを受けかねない。

今は二人のPIとこのやり方で一旦早いうちにチェックインして少し軌道修正が入ったものを時間をかけて自分が思う10割の仕上がりのものを再提出、というような感じにしている。

利点は、早い段階で進捗具合を報告できる機会ができることで、特にそのPIと書く最初の論文ではあった方が良い気がする。

恐らく最初のプロジェクトはお互いの感じを手探りで掴もうとしているのでここで歩調を合わせるのは重要ではないかと思う。

逆にマズいのは120%の質に仕上げようとして最初のチェックインまでに数ヶ月とかかかってしまう場合ではないだろうか。その間にプロジェクトが他のメンバーに回っている可能性も充分あると思う。

また、「なんか仕事早いヤツ」ポジションをゲットすると他のプロジェクトも振ってもらいやすい気がする。

メールやSlackでの反応を早く

PIとする一番初めの仕事ではとにかく返信を早くしている。他の仕事を一旦止めて少し無理してでも最速で返すようにしていて、意図としては、向こうが「あ、なんか直ぐに必要になった場合こいつならすぐ反応あるな」という認識を作り出せれば色んないいことがある気がする。

うちのボスはミーティングのスケジュールが数時間前に決まったりするので、そのスロットに入り込むにはこの設定が必要かと思う。

またある程度の連絡のテンポが維持できればそこで軽いアイデアのキャッチボールのようなこともできるので、この認識は作れるなら作っておいて損はないと思う。

現にこのやり取りでアイデアが結構生まれた。

もちろん寝かせて考えなければいけないような事項は比較的ゆっくり返信。

エチケットとして’Thank you’だけの内容のメールは相手の時間が無駄になるので送らない、ということが言われるが、これに関する好みも個人差がある印象なのであまり作法本に書かれているようなものを鵜呑みにして本人に確認なしでその前提で臨むのは危険かも知れない。

とにかく先読み

忙しいPIほど自分で数ステップ先まで読んで解析やらプレゼンを準備して行った方が話がスムーズに進むし評価されているような気がする。

というのも、PIはPI でもdecision fatigueというか、ただ単にコンテキストなしの結果だけを延々とプレゼンされてもそれを読み込んでいい角度に落とし込むのはおそらくエネルギーを使うわけで、

データをプレゼンしてその上で自分の解釈と論文の方向性の提示、プラス代替案まで持っていければそれに基本Yes/Noで答えれば良くて、もう一段上に昇華させるためのアイデアにPIの時間とエネルギーを使えるようになる印象。

なのでやはり強力なペーパーの裏にいるのは強いPIだけではなくてファーストの人間のレベルとの掛け合わせなのかなと最近考える。

逆に、「PIが出し得るペーパーのレベル」が安定している場合、そのレベルの成果が引き出せないのはファーストである自分に至らないところがあるのだろうかということを考えないでもない。

まとめ

PIのスタイルは千差万別で、一般化できる慣習のようなものは少ない気がする。

基本はボスの好みやスタイルを早くから学ぼうとする姿勢があり、それをうまく伝えれれば良いのかなと思う。

そしてその中でもターンオーバーをリーズナブルな範囲で最速化し、コミュニケーションをオープンにして次の数ステップを先読みできると盛り上がるのではないだろうか。

臨床医が臨床研究論文を書かなければいけないことの異常さ

今回はジャイアンPI出生の秘密に迫りたいと思う。

前からモヤモヤしていたトピックだが最近Twitterでご連絡を頂いた先生とのやりとりで考えが固まり、許可を頂いたので記事にしようと踏み切った次第。

僕の中のジャイアンPIは

  • 臨床医で臨床経験豊富
  • 臨床研究をやりたいがあまり時間を割けない
  • 臨床的に重要なクエスチョンをデザインや統計的なリミットを考慮せずに追求する
  • 学生やレジデントと研究したい

まぁ実在するかと言えばするかもしれないし、しないかと言えばしないかもしれない。映画版テレビ版含め、程度の違うそれぞれのジャイアンが思い浮かぶ方もいるのではと想像する。

そして自分主体の研究で共同研究者や学生を巻き込む場合、一歩踏み外せば自分がジャイアンになってしまう危険は常に潜在しているのではないだろうかとも思う。

なぜジャイアンは生まれるのか

まず「従来」のアカデミアにいる研究一筋の研究者と臨床医にとっての研究論文の重みの違いから考えたい。

臨床医が臨床の片手間でやっている研究と研究メインのファカルティーがやっている研究では論文のライフライン的な重みがかなり違うと思う。「死活問題では無いが臨床論文が書きたい場合」でも少し触れた。

米国の話だがいわゆる生物医療系(?)の研究者は大学からファカルティーとして雇われる場合は自身で獲得してきたグラントで賄うソフトマネーが給料の何割、という契約になるケースが多いと思う。

大学から年給の100%が保証されている研究職のファカルティーポジションはごく稀だと聞く。

対して臨床医のほとんどが給料は臨床を通しての売り上げやベース保証いくら、という形で、グラントや研究での成果を上げないと何割の給料が出ない、というような雇用契約の臨床医はほとんといないのではないかと想像する。

なので研究が上手くいかなかった場合のリスクが段違いだし、結果そこにコミットするまでの試行錯誤やフィルターになるプロセスが臨床医には比較的少ない気がする

これが臨床医からジャイアンが生まれてくる理由の一つだと思う。

アカデミックな機関に臨床医として雇われる場合、臨床ができるのは前提だが、研究成果や研究に関する経歴ってプラスになるものはあれど、

それが欠けているから働き口がない、というケースは一部施設を除けばあまりない気がする。

なので3次医療的な環境で臨床がしたいしアカデミックな面に興味があるから大学病院に就職しよう、となった所に「昇進するために論文が必要」というプレッシャーが加わり、研究に関する知識や技術が満足いかない状態でも臨床研究を行わなければいけなくなってしまう。

そうして生み出されたジャイアンと(無数のレジデントの屍を乗り越えて)論文を書いたレジデントも一応研究成果がでてなんとなく研究ができる・続ければいけない雰囲気に取り込まれ、やがてアテンディングになると自分がジャイアンとして転生しこのサイクルが連鎖するのではと考える。

医者は臨床研究論文を書いた方が良い、という前提

臨床医が何かしらの研究論文を書いた方が良い、という前提がおかしいのではと考える。

臨床知識があって論文を書いたことがあるから、研究の専門的トレーニングや実績が無くても下の人を巻き込んで臨床研究をして論文が書ける・書かなければいけない、という流れには違和感を覚える。

もちろん、これと言ったバックグラウンド無しで上手くいっているケースは本当に素晴らしいと思うし、超絶なノウハウが蓄積されているのだと想像する。

ただ僕自身も今の施設で巻き込まれて苦い思いをした経験が多数あるし、上手くいっていないケースは多い印象。

これはそのような環境でリサーチせざるを得ない場合がどうというのではなく、それを助長するシステムがおかしいのでは、という議論

むしろ「ほとんどみんな論文書く」をデフォルト設定にしたいなら、臨床研究を行いやすいように医学部教育の時点でスタディーの組み方、基本的なメソッドや統計手法のカリキュラムが一般化されるべきでは、というのは理想論だろうか。

この「何だか論文を書かなければいけない」雰囲気によって、あまり熱のこもっていない論文が書かれ(僕の過去のものも含めて)、クオリティーチェック無しにひたすら論文をアクセプトして出版費で収益を得るインパクトファクター0.0のハゲタカジャーナルがビジネスとして成り立つことにも多少なり貢献していると思う。

この現状を受け、低クオリティーの論文を抑制する意図で、「研究者生涯で論文として出版できるトータル文字数に制限を設ける」もしくは「掲載できる生涯論文数に上限を設定する」と言ったアイデアも結構真剣に議論されている。

Nature のコラムにもなった議論。

ただ、これに対して僕のボスが言っていたのは、「私の書いた論文トップ数本はそこに至るまでの無数の小さな論文から学んだことによって支えられているものだからこの議論はナンセンス」ということで、ごもっともすぎて衝撃が走った。

また、今やっている詰め度の研究を初めから要求されていたら絶対挫折していたし研究なんてつまんねって思っていた可能性が大きいので小さいトピックで割と敷居が低く書ける環境は大事。

まとめ

かなり紆余曲折あったが何が言いたかったかというと、

臨床医が「書かなければいけないから」となって受け身で書く論文は色々辛いと思うしシステムとしてそれなりの弊害があると思う。

ただ、その重要な副産物として、臨床研究に目覚めて継続している人たちがいるのは確かなので手軽に経験できる環境は大事だと思う。

臨床医に臨床研究を求めるなら必須レベルのカリキュラムに力を入れるべき、というのは正論だと思うのだがそれも色々難しそうな話なので、この様な媒体で偏った情報ながらこんな感じのことを発信していけばどこかで何か良いことがあるのではと思っている。

カバーレターの書き方

前回の「カバーレターは必要か」では頂いたコメントから、カバーレターはデフォルトで書いた方が良いという見解が得られた。

そしてカバーレターを意図的に書かない場合がある僕はただの怠慢○タ野郎なのではないかという疑念が浮上したが

恐らくいい意味でのやつだと思う。

一応続編として、今回はカバーレターの書き方。

これはスタイルの違いがあると思うので書き方というよりは僕はこうしています、という程度のもの。というかこのブログが全てそうなのでその前提でお読みいただきたい。

僕が思うカバーレターのポイントとしては

  • 手短に
  • 論文の見せ所にできるだけ早く到達
  • アブストには書きにくいニュアンス(凄さ)をアピール
  • 結びは無難に

レビュアーのサジェストに関しては書かれている方もおられる様だし僕の前のPIもカバーに書く人はいたが今のボスは敢えて書かないようにしている印象。分野にもよると思う。

大まかな構成に関してはほとんど下の図で完結していると思う。

趣旨としては、アブストを更に煮詰めてエディターを口説くために再構築したのがカバーレターという感じではないか。

1st paragraph

論文のタイトルとジャーナル名。

2nd paragraph

エディターが簡単に読めてインパクトが伝わるものにするのが目的だと思うのでとにかく簡潔に。そしてかなり早い段階で(図では2パラグラフ目)にConclusion(見せ所)を書く。

そしてその直前にくるBackground的な情報は、Conclusionの文を引き立たせるための情報のみをその目的のためだけに書く。

3rd paragraph

メソッドと結果のまとめが一番さじ加減が難しいと思うのだが、これは斬新な解析手法やレアデータを使っている場合はここが売り場だと思う。

逆にアプローチに目新しさがない場合はサラッと書いて結果に重点を置くと良いと思う。

4th paragraph

Significanceのパラグラフでは何故アクセプトするべきか、という口説き文句を書くのだがこれが恐らく最重要で、上手く使えば論文内やアブストには書きにくい情報を伝えるプラットフォームとして使えることもあるのでは。

例えば、現在の慣習にはこんな酷い欠陥がある、のような割とセンシティブな内容は論文内では回りくどい言い方をしなければいけないことがあると思うのだが、

カバーレター内では、節度を弁えていれば直球でいける気がする。なのでインパクトが伝わりやすい文が書きやすいと思う。

Final paragraph

最後に結びのフレーズなのだが、

We look forward to your favorable decision.

(良いお返事をお待ちしております)

と書くPI何人かと働いたのちに今のPIと初めてのカバーレターでこのフレーズを書いたら全て書き換えられた

何故かは言ってもらえなかったし聞かなかったが、まぁエディターの立場を想像してみると

「本当ならリジェクトだけど、良い返事を待ってるのならアクセプトだよね」

とはなるはずもなく、あまり意味のない言い回しということにならないだろうか。

だし何やら上からな印象になる感じがしなくもない。

いくら大雑把アメリカとは言え、微妙なニュアンスが大事な場面はある気がする。

なので最近は無難なところで

“We appreciate your consideration of our manuscript.”

等で結ぶようにしている。

まとめ

論文の内容が複雑であればあるほどそれを簡潔なメッセージに落とし込んだカバーレターは芸術。

前回の記事:カバーレターは必要か